啐啄の診療とシンボルマーク

木村 繁 Shigeru Kimura
JOHNS (東京医学社 出版)
第16巻 第11号(2000年11月)掲載
(JOHNSは、耳鼻咽喉科の雑誌です)

啐啄同時(そったくどうじ)という禅語がある。10年前までこの言葉を知らなかった。

長女が東京女子医大6年生のとき、吉岡守正学長はじめ大学の諸先生と一般父兄との懇談会が、 白河にあるセミナーハウスで秋の夜開催され出席した。

学長先生にお好きなお言葉をとお願いしたところ、 ”啐啄”と色紙にていねいにお書きになられた(図1)。

ところがこの漢字が読めず、帰京後、獨協医大の日野原正教授に相談し早速調べてみた。

”啐啄之時(そったくのとき)”とも”啐啄同時”の用ともいわれ、碧巌録を出典とした禅語で、 鶏卵が孵化しようとする時に雛が殻の内から啼いてつつくのを”啐”、 母鶏がそれに応じて殻をつつくのが”啄”で、 両者が一致した時、雛が誕生することをいい、学ぶ者の意欲に教える者がすばやく応じること、 あるいは逸してはならない好機、またとない機会や時のことをいうとのことである。

学長先生の座右の銘と拝察した。私はそれ以来この言葉が好きになり大切にしている。

禅語を気軽に応用するのはおこがましいのであるが、診療においても”啐啄”があるように思う。

患者と医師の間の啐啄とは、患者の訴えに医師はよく耳を傾け、 医師はタイミングよく患者に説明指導し、 お互いに協力し合って病気と闘う、あるいは健康を守るということだと思う。

これが上手くいけば、卵の殻が破れ生まれ出る、 すなわち病が癒え健康を保つこととなるのではなかろうか。

かつて、勤務していた日赤中央病院に毎月、 気管支鏡・食道鏡検査の指導に来られていた小野譲先生にお願いして、 ”医者は病人を助くるにあり”と”信為栄事本”の2枚の色紙を頂戴した(図2)。

在職した日赤の博愛奉仕の精神とともに日頃の診療の支えとさせていただいているが、 ”啐啄”の言葉を知るに及んで、 患者と医者との心のふれあいをもっと大切にせねばと反省したのであった。

昭和47年に日赤を辞し、耳鼻咽喉科気管食道科として開業したとき、 咳を治してほしいという患者の多いことに気づいた。

「開業耳鼻咽喉科はカゼ医者でもある。それを卑下することなく自信をもってよい」と、 かつて鏡友会(戦前からある横浜東京在住耳鼻咽喉科臨床医の学術団体)で、 高名な先生が発言されたことを思い出した。

なるほどこのことかと、それからは耳鼻咽喉科の特徴を活かしたカゼ医者を自認して診療していた。

その頃、多忙のためか聴診器を当てないで「はい、カゼです」と投薬するだけの内科医師がいると、 患者が苦情を漏らしていた。

自分もカゼ医者を認ずるなら、カゼ症状を訴える患者に対し 耳鼻咽喉科的診察のみならず他科的な所見も見落としてはいけないと反省したのであった。

病院勤務時代に田中昇中検部長の下で病理解剖の指導を受けたことや、 耳鼻咽喉科の岡部剛二顧問、小倉修二部長の指導で聴診器は必ずポケットに入れていたこと、 東洋医学に関心があったことなどから、全身所見の把握を心掛けるようにした。 といっても全身をくまなく診れるわけではなく、咳の患者では胸部の聴診や胸部撮影、血検程度であった。

こんなことでも診療リズムが変わるために面倒で、かなりの努力が必要であった。

それでも厭わず診療しているうちに、内科で見逃されたマイコプラズマ肺炎などを診断できた症例が多くなり、 小野譲先生に是非続けなさいと激励していただいたおかげもあって、現在も可能な範囲で対処するようにしている。

また、アレルギー検査を、小児科の川崎富作副部長にご指導いただいたので、 気管支喘息に興味を持つようになり、当地ではまだ珍しかったアレルギーテスト、 IPPBや減感作療法を行い、喘息発作の点滴で一晩明かすようなこともあった。

その頃中学生であった長女の康子は、土気色の子供が点滴で元気になっていく様子をみて、 開業の医者の仕事は素晴らしいと、後年医師を志すことになり、 慈恵医大小児科教室(前川喜平教授)でアレルギー科医を目指す動機となったとのことであった。

一昨年それが結実して小児科、アレルギー科を併設し診療を開始することとなった。

長女とともに診療を始めるに際し、親子であっても異なる科の専門医である立場を尊重し、 互いが師弟となるような”啐啄”を、 また患者と医師との関係も”啐啄”の心がけで診療することを当院の目標とした。

そしてそれらを念頭に医院のシンボルマークを共同製作した。 ほんのりあたたかいイメージのピンク色の円の中に、手を取り合った三匹のうさぎである(図3)。

この三匹のうさぎは、親御さんと医師が手を取り合って患者の子うさぎを元気に育てようと、 また耳鼻咽喉科と小児科の医師が子うさぎ(大人を含めた患者)を癒し、 健康になって欲しいと願ったものである。

いずれにしても心のふれあいが大切で、診療は一方から他方に押しつけるものではなく、 相互に情報や意見を出し合い、協力して行うものであることを表現したいと思った。

ところで、病んだ時どのように医療機関に関わるか悩むことがある。

併科診療を始めてみて患者からの感想を伺うと、以前は、子供が咳と鼻水が出たときに、 小児科と耳鼻咽喉科のどちらに行けば良いのか迷っていたけれども、 当院では両方診てもらえるので嬉しい、とのことであった。

小児科併設以前は、小児の中耳炎の治療中、咳が出るとの訴えに対し、 対症的に鎮咳薬を出すだけで、全身所見をとらなかったこともあり、 「下痢をした」「高熱を出した」との訴えがあっても、 よく診察もせずに他院小児科へ行かせてしまうこともあった。

一方、一般的に小児科は子供の病気の窓口であって、 鼻汁だけでも小児科を受診するわけであるが、投薬だけされることが多いようである。 「鼻汁を吸引して欲しい」とか「中耳炎がないか耳をみてほしい」と思っても、 「耳鼻咽喉科へ行って下さい」とつれない返事。

また発熱や不機嫌の赤ちゃんは、複数の医者回りを要することが多いが、 医師間で重複をおそれて投薬を遠慮したりして、 結局はより良い治療とならず気の毒にしてしまうことがある。

こういうことは小児科併科となった今、ずいぶんと解消されたと思う。

小児科を併設するにあたり、同じ建物内でも新規別個に開院するいわゆるグループ診療の方が良いのでは、 という意見も多数いただいた。

しかし、窓口を1つにしたほうが患者にとっては負担が少なくて便利であろうと併設を選んだ。

同じフロアーで共通のカルテを用いて、小児科と耳鼻咽喉科とが対岸の火事的に無関心とならず、 互いに気軽に協調して仕事ができるようになった。

複数科としたことで、かなりのメリットが出てきた。

耳鼻咽喉科が小児科から学んだり重宝していることは、 熱性けいれんの対処、乳幼児の点滴技術、採血、アレルギー検査など数限りない。

特にアレルゲン皮膚テストとして、 小児科で行っているBF針を耳鼻咽喉科でも採用したことである。

それまでは注射針で軽くスクラッチしていたのであるが、 恐怖心をもたせ、上手く真皮に達しなかったり、出血したりしてかなりの熟練を要することであった。

BF針(Bifurcated needle)とはアメリカでは標準化されたテスト針の1つで、輸入品である。注射針によるスクラッチテストよりも痛みが少なく、真皮内まで確実に刺入され反応が確実で、かつ安定した結果が得られるという利点をもつ方法である。

東京の耳鼻咽喉科界では披露されたことがないようだったので、地方部会講演会(城東ブロック担当)のシンポジウムの演者となった際、使用経験を報告させていただき、また「アレルギー臨床懇談会」(会長鳥山寧二先生、世話人杉浦茂、奈良林繁、木村)にて松原がデモを行なった。

一方当小児科の耳鏡検査は、熱心な小児科医がするように、 以前よりウエルチアレンを使用していたが、硬性鼓膜鏡に変更し意欲的に観察している。

より見やすく、またビデオに接続できるため、 中耳炎などの診断でも耳鼻咽喉科と共同して診療できるようになった。

当耳鼻咽喉科では兼子順男先生の推薦で、 25年前より常時硬性耳鼻咽喉鏡を用いて診療、手術しているため、 共通の視診感覚を持つことができるようになり、討論しやすくなった。

小児科にただのかぜだと思って来院した患者から中耳炎や副鼻腔炎が意外に多く発見されるようになった。

鼻汁吸引は小児の耳鼻咽喉疾患では大切な治療であり、 泣かさないなどの工夫を耳鼻咽喉科でも行っているが、 母親の理解と協力を大切にするなど小児科ならではの工夫があり、耳鼻咽喉科とはひと味違っている。

そのため「ハナを吸って」とせがむ子供が増えてきたのである。

小児の治療の基本は、コミュニケーションを培うことにあり、 そのため、目線や姿勢や話し方などいろいろの工夫があって、 マンガに描いて説明するなど、小児科独特の世界には最初驚いた。

小児科外来はアニメの世界であって、いまふうで、口で説明するよりも理解されることが多い。

処置で泣く子の大合唱となったときは、 おもちゃ遊びやキャラクターシールのプレゼント戦略になることもあるが、 日頃母子と仲良くなることの努力が大切である。

医師も患者も2つの部屋の診察室を行ったり来たりして気忙しいが、 意見の交換も円滑になっているため診療レベルも向上したと自負している。

以上このようなことは、併科における患者と医師、医師と医師間の”啐啄”のことではないかと思う。

日頃のふれあいは、診察室では限界がある。健康講演会や子供の病気の勉強会を開いたり、

また当院が主体となって地域の人々と始めた 「江北ふれあいの道完成記念・江北美術展」 (東京都地方部会会報第40号・会員便り参照)に参加してもらったり、 話題にするなども親近感を培うようにと考えている。

”啐啄”は院内における患者とのことばかりではなく、院外との情報交換でも大切である。

たとえば最近検査は当院では1~2日後に成績を知ることができるため、極めて有用な説得力をもっている。

迅速な報告は東京総合臨床検査センターの出口浩一研究部長の尽力によるものであって、感染症における最近の動静もいち早く連絡下さった。

また杉田麟也先生主宰の「小児中耳炎副鼻腔炎と肺炎球菌研究会」の会員にご推薦いただき、 開業医の現場の情報交換検討会に参加、 また小児科主体の足立区感染症サーベイランスの情報提供機関の1つになっていて、 地域の疾病動向をいち早く入手できるなど、ともに診療に役立つ”啐啄”となっている。

院内の職員間の”啐啄”も非常に大切である。

診療形態が1フロアーで複数科となったこと、しかも耳鼻咽喉科と小児科とは共通項が多いこと、 職員に新人がふえたこと、パート職員が多いこと、 さらに啐啄を強調するわりには、私自身の動作が鈍く優柔不断な面があるため診療時間のロスが多いことなど、 カルテの動線はじめ混乱をきたすことがかなりある。

業務の連携プレイをいかに潤滑に行うか、 また医療人としての教育、医療知識と技術習得などをいかに周知させるか、 自らの改革と職員間の”啐啄”が急務となっている。

全員一室に会してのミーティングが困難なため、 目下は電子メール的に各自の意見、感想、連絡、報告などを書き込んだ 「うさこちゃん便り」をつくるなどして応急手当をしている。

シンボルマークの子兎は、小児だけなく老人も含めた患者すべてであり、 あこがれの”啐啄”を活かした診療のためには、医師、親と家族、診療スタッフ、 検査や環境条件などたくさんの兎のきめ細かな支援連携が必要である。

卵の殻を破り元気になって育ち、健康な生活を送ってほしい。 しかし、未熟、非力のため現実の診療は思うようにならない。

このマークに夢を託して、あたふたと努力している昨今である。